絵を好きになったきっかけ
- 長倉陽一
- 2019年12月28日
- 読了時間: 3分
僕は本当のことを言えば絵を描くことに対して苦手意識を持ちながら成長してきたと思います。
小学生の頃は美術の時間で何を描けばいいかわからなくて授業の終わりまで手がつけられなくて描いては消してを繰り返していた覚えがある。もしくは何を塗っても黒くなってしまってそれに対して嫌な気分になったりすることが多かった。
クレヨンで似顔絵を描いたときに何で真っ黒になるのか理解できなかったし、周りよりも描き始めるのに時間がかかって焦るばかりです。記憶にあるということは本当にそれが嫌で許せなかったんだと思います。
でも物づくりは好きだったようで絵を描かない代わりにフェルトでマスコットを作ったり折り紙を折ることは好きで作ってはポケットに入れて握りながら授業を受ける毎日でした。
小学校でのクラブ活動は"陶芸クラブ"でした。ひとつだけちゃんと作れた物があったけど記憶にありません。
今当時のことを思い出すと学校ではいじめの対象になっていたようなので記憶がほとんどないです。
中学になると部活動に入らなくてはならなかったんで自分は"手芸部"に入りたいと思っていたけど親から反対もあって"美術部"に入りました。制作できる部活は手芸と美術だけだったので渋々従いました。
美術部では一枚絵を描けば自由に遊んで良いというルールがあり自由な雰囲気でした。
先生からはスケッチブックをひとつ与えられ
て、初めは描くものに困っていたと思うけどいつの間にか鳥の図鑑で気に入った写真を描くようになっていました。
昔から恐竜が好きだったのでその延長で鳥が好きになっていたためです。それ以外のものは描きたいとも思えず決まった時間に好きなものだけを描くというのが自分の中でルールになっているのかもしれないです。
それは今でも変わっていないかもしれません。与えられたテーマと自分の好きなものをどれだけ近づけることができるかずっと考えています。
少しずつ描くことに慣れてきたところで部活の活動の一環で市の環境ポスターの展示会に出すことになりました。
自分はいつもより大きな紙に、いつも通り好きな鳥を何羽も描いて、先生から木や水の描き方を教えてもらったことがあったのでそれを生かした絵を描きました。
初めて出した展覧会で自分は出展したことも忘れていたんですが、中1の夏休みの日に、家に電話がかかってきて「自分の絵が優秀賞に入って学校に市長が来ているから来なさい」という内容の連絡でした。
走って学校に行くと校長室に案内をされてそこには当時の狛江市長が待ってくれていました。いろいろ話をして記念撮影をして。その時の話と写真が市の広報に載りました。
この事が自分にとっては衝撃的で、いじめられてばかりでそれまで学校で行われていた行事もテストも意識できなくて今思い出してもそれ以前のことは何も記憶がないのにこの時のことははっきり覚えていて、それからは記憶が所々残っていて意識して生きれるようになった気がします。
いじめも続いていたのでそのあたりから「嫌だな、悲しい、辛い、寂しい」という感情が持てるようになった気がします。
とにもかくにも絵で賞を貰えたことは自分の人生の中で特別な出来事で初めて自分以外の人に認めてもらえたのがとても嬉しかったことを覚えています。
それからも変わらず鳥の絵を描いていると自分の好きなものが鳥から爬虫類へと変わってきて亀などを好き好んで描くようになり次の年の環境ポスターでは海の中を描いていました。
その絵も銅賞に選んでもらえてちょっと自慢になっていました。
今振り返って考えてみると、自分は好きなものしか描けないし、気持ちが乗るまでに時間がかかるけど、自分のテリトリーに近づけたものは描ける。中学の時にそれを身に付けることができたように思います。
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